昨日、父と妻の 7回忌を行った。
今日は、父の命日
(まさか、その時は、その4日後に、妻が亡くなるとは思わなかった!)
9月 1日 父を、(推定 午前 4時)(95歳)
(葬儀の翌日)
9月 5日 (5:55)我妻を亡くしました。(59歳)
* 息子が、大学を卒業した年。
1週間に、2度の喪主。
ギネスものですね。
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なお、
妻の、香典のお返しは、
誠に勝手ながら、
青いことりの会(弟妹保育ボランティアグループ)に、寄付をさせて頂きました。
その関係のお母さんが、子連れで、
参列者は、200人(子供含まず)を超えた。
お経を二回りしたのは初めてだと言われた。
その
青いことりの会 からは、
6年経った今でも、この時期には、生花が送られてくる。
故 若命 やよい(わかめ やよい) 儀
2007年 9月 5日
午前 5:55
死去。
享年 満59歳
昭和23年 3月 15日生まれ
故やよいの活動。
・横浜市南部地域療育センター のボランティア
・その、弟妹保育ボランティアグループ 青いことりの会 創設
・NPO法人 ひだまりの森 の経理
・櫟の会(子育ての学習会)
青いことりの会・・・を、第二の子供・・・と言っていた。
1978年 昭和53年 アマチュア無線局 JK1WDQを開局
日本中と交信
故 若命 信行 儀
2007年 9月 1日
午前 3時(推定)
老衰の為、
自宅にて、
死去。
享年 満95歳
明治45年 3月 1日生まれ
航空機のねじを作っていた、
ねじの事を螺子と命名した、東京螺子製作所に、定年まで勤める。
(株)東京螺子製作所(現 ミネベア(株) 藤沢工場)
戦争中は、銃後を守る技術者として、出兵はしなかった。
定年後は、前の上司に誘われ、
図南鍛工株式会社に勤め、
第1種電気主任技術者として、
特別高圧線を引き入れ、事業の拡大に貢献。
社長の次?(本当か?!)の給料を受ける。
75歳で、後進に道を譲るため、惜しまれながら退社。
自身が、71歳になり、父の凄さを実感する。
無くなる直前まで、
眼鏡も掛けず、
読売、日経新聞を読んでいた。
株に興味を持っていたから、経済にも明るかった。
私の仕事の話も、世の中の情勢を把握していて、良く理解した。
母が無くなる3年前迄、(90才代)
パソコンの勉強をした位だ。